平成23年「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」 今年は3月11日の大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響で規模を縮小し被災犠牲者の鎮魂、震災からの復興の願いを込めて「東日本大震災復興 相馬三社野馬追」と称して催されました。相馬家では第33代当主である相馬和胤(かずたね)公、嫡男の行胤(みちたね)公及び二男の陽胤(きよたね)公が参加され、総大将は行胤公が務められました。また、陽胤公も出陣されました。 原発事故の影響で、雲雀が原での甲冑競馬と神旗争奪戦は中止となり、小高神社で行っていた野馬懸けも縮小して多珂神社で執り行われました。 被災地の復興への意気込みなどの話題性もあり、多くのTVや雑誌取材が見受けられました。大変困難の中、一千七十有余年の伝統が途切れることなく継続されたことは誠に意義深いことと思います。 宇多郷(相馬市)では津波で流された馬などもあり騎馬は例年より少ない約40騎でしたが、威風堂々と市内を行列し市民などから盛んに声を掛けてもらいました。やはり馬の鳴き声や蹄の音、鎧甲冑で身を固めた騎馬武者の姿がないと相馬に夏が来たとの感じがしませんね。 来年は是非例年通りの野馬追祭の開催を期待しています。
◇7月22日(金) <<安全祈願祭/総大将出陣の宴/相馬中村藩古式炮術(相馬市)>> 出陣式の前夜祭として午後2時より中村神社の境内で開催されました。 宴の前に相馬外天会による炮術が披露され、例年の倍近い火縄銃が境内に轟音を響かせ大震災復興への「のろし」としました。 総大将より「野馬追を一千年先に引き継ぐ気概を持ち、中村神社のご加護の本、正々堂々と出陣することを希望する。」との挨拶があり騎馬武者を鼓舞しました。その後、相馬流山民謡踊りと相馬高校生の相馬太鼓が披露され宴に華を添えました。 総大将あいさつ 相馬流山民謡踊り 相馬高校生の相馬太鼓 ◇7月23日(土) <<出陣式及び相馬市行列(相馬市)/総大将お迎え(南相馬市鹿島区) お上がり(相馬市)>> 中村神社御発輦の儀が7時45分から厳かに開始された後、境内にて出陣式が挙行されました。大震災の犠牲者への鎮魂をささげる螺貝の低い音色が響く中、騎馬武者達は黙とうをささげました。総大将の「一日も早い東日本の復興の実現を念じながら行軍し、無事凱旋すること」の訓示があり市内行列と北郷本陣への進軍が行われました。外天会会員も御神輿の守護係りとして一緒に参加しました。 <行列行軍> ◎出陣式⇒閲兵⇒御発輦(行列開始)⇒相馬市内行列⇒ジャスコ ↓ ◎鎮魂の儀(南相馬市鹿島区ー北郷本陣)⇒鹿島区行列 ↓ ◎ジャスコ⇒相馬市内行列⇒中村神社 出陣式(中村神社) 相馬市内行列(総大将) 相馬市内行列(元玉ノ井親方) 相馬市内行列(御神輿係ー外天会) ご信心の方〜 相馬市内行列(御神輿係ー外天会) 南相馬市行列(御神輿係ー外天会) 総大将お上がり(相馬市ー大手門) ◇7月24日(日) <<野馬追御省略奉告祭・東日本大震災犠牲者鎮魂祭 (相馬市)>> 相馬和胤公、行胤君、陽胤君の参列のもと、野馬追祭省略の神前報告と犠牲者の鎮魂が中村神社本殿にて厳かに執り行われました。 境内での神事 本殿に向かう ◇7月25日(月) <<上げ野馬神事(南相馬市)>> 南相馬市小高区は原発の避難区域のため、野馬懸けを執り行う小高神社での開催はできませんでした。そこで大幅に規模を縮小し小高神社に近い多珂神社にて「上げ野馬神事」が執り行われました。 白馬の馬を口取りし神前にお供えするという行事です。例年は裸馬を境内に追い込み、御小人が取り押さえるところから始まりますが今年はその行事は中止となりました。 |